汚い文

 

 

 

経済の豊かさと 心の豊かさは完璧に比例するわけじゃないけど関係は必ずある

 

この学校に入って、

母親や家族との信頼関係 愛着関係、または親からの興味関心をちゃんと受けている人達が圧倒的に多いと感じる

なぜかと考えるとこの場所にいる人たちは大体が経済的に上位な人達ばかりだからではないか。それにこの学校の生徒の9割は不登校経験者。そしてこの学校は私立の通信制高校であるから両親がそこまでさせて進学させてくれる気待ちとお金が絶対的に必要条件になるからではないかと考えた。

 

だからこの学校には両親との不仲や家庭不和を抱える生徒が本当に少ない。そして両親が不登校に大きく理解がある人が多いのだ。それはわたしの中学時代の周りのそれと大きく異なる。

 

地方の普通の公立の中学校、片親の家庭も多く地元でも有名なヤンキーマンモス校に通っていた私は、特にその相違を大きく感じた。

 

 

基本的に今通っている学校は経済的に豊かな人ばかりで 哀しいがその家の経済の豊かさと心の豊かさは比例に近い

 

 

 

 

 

 

 

やはり世界というものがあって、

(それは生きてるこの地球や海外のことではなくて、社会で似たものが集まるひとまとまりの集団のことを指す。)

 

今読んでいる本では 世界は二つあってそれともう1つ1番外側に宇宙が存在するのだと説いている。一般と言われる、ほとんどの人がいる、普通の世界と

被虐待児の暮らす世界との2つらしい。

 

 

しかしわたしは世界は無限にあると思う。

わたしが確認している数でさえ先程の二つという数字を超える。前半で述べたようにお金に困っていない人達の世界。それから、お受験が当たり前といったママ友たちの世界。経済的なものから外れれば 私のように精神に病がある人達の世界。暴走族などと言われる反社会的な人達の世界。

狼狽える程ある。

 

 

私は幸福なのか、それとも不幸なのか小さなうちからの違いや経済的なカースト別の暮らしの違い。考え方の違いを目にした。それは一般から少し下のレベルの経済状況の我が家が私も兄もお金持ちが多いと言われる学校に結果的に進学してしまったからという理由だと思う

 

 

 

 ぐちゃぐちゃの吐き溜めだ。

わかりにくく汚い文章、

 

 

 

 

 

 

皮肉じゃなくてサラダが食べたい

仲の良かった子の顔は忘れちゃったけど いくつかの本の書き出しは覚えてる
2日前に何をしていたか解らないけど
レポートがもうすぐ締め切りだということはわかる
記憶が孤独な時間のことばかり暗記していてそんなはずはないのに無かった筈なのに

 

 

 

 

 

 

 


幸せだと思ったことは覚えているが その感覚を、恍惚を一ミリたりとも思い出せない。記憶を巡らせ辿り着くのは「幸せ」というゴシック体の文字。そんな文字、泣きながらでも書けるじゃないか

 

 

 


わたしは、感情を、感覚を思い出したいのだ。 心臓の鼓動。頰が緩むような言葉の響き。寒くても外で一緒にいたいと思うような 帰る時間を遅くなると家に連絡しだすような そんな

 

 

 

 

でも当分、渇いた笑いは出していない。

それは単純に 、嬉しいかもしれない

 

 

 

 

 

 

 

 


将来は何もしたくないけれど 今はすこし本屋さんに行きたい。人権と自意識とそれから穢多非人 差別、ヒエラルキーについての本が読みたいのだ。ついでにサラダが食べたい。トマト入りの。アボカドもあるとなお良い。

 

心がドロついているので さっぱりしたものを食べて中性に戻したい…

 

 

フィルターと謎の辛さについての考察

 

 

 

 

私を驚くくらい幸せにさせたり

酷く悲しめたり

 

 

会うたびに感触が違くて いろんな気持ちにさせる不思議な人だなあと   思った

 

 

 

 

ミルクミルクカフェオレ

 

 

 

 

 

 

 

 

大事な人ができると世界が変わって見えます、絶望のフィルターと同様に幸福のフィルターもあるようです

 

 

 

自分の体が自分のものだけじゃなくなったので

 

なるべく大切にします、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

辛くて不安で哀しくて

でも会っていると掻き消される

 

でもきっとずっとつらい

幸福は一時的   辛さは常    

どういう風の吹き回し? 何が起こっているのか全くわからない  いつもただただ私は湧き出た感情を横目に眠りにつくだけだ

 

良くわからない本当に

 

でもきっと彼は 私が会わなければあそこに行かなければ 私がどんどん小さくなって大して重要でなくなっていなくても生きていけるようになる、そしてあの子と笑い合うと思う

 

何故だか二度と行きたくないとも思う

だけれど、まだ、忘れて欲しくない

 

もうすこしだけ、 もう少し

 

 

 

きっとこの終わりはひどくつらい

 

 

それが分かっているから辛いのか、

不幸直結人間って的を得ていたかもしれない

 

 

 

 

 

 

 

 

上戸

 

 

 

「あなたといると生きた心地がしないわ」

 

だってわたし、

危険を望んでいるもの。

 

 

 

死にたいって、 わかってるでしょう?

 

 

あわよくば、連れていかれないかな

あわよくば、 轢かれないかな

あわよくば、 帰れなくならないかな

 

 

どうしても無理なの、人のことすきになれても、根本的なものは変えること、難しいのよ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

二日酔いなんてこんなものかと

ここ何年かで体調に関するものはかなり耐性がついたせいだろうか、

39度くらいの熱や 少々のものには

動じなくなってしまった

 

同時に体調を崩すことがあまりに増えて、

もうこの体と付き合いたくないようと体変換を望んでいるのだが。。。

 

 

酒なんてこんなものかと、

二日酔いはODのその後とよく似ている

 

薬に逃げるよりは酒に酔った方が不健康ではなく聞こえるが、 どっちみちあまり変わらないように思えた

 

やはり人間は逃げて逃げて生きていかなくてはいけない 助けられるというより使う、そんな感じだ

 

 

 

痛みも熱さも鈍感になってしまった 心とからだで   自分の形をした肉塊が可哀想に思えた。

悲しみさえ汲み取ってもらいにくいのかと

 

だけど、わたしはこれを強く望んだことがあったでしょう?

そう、あの、感情なんてなくなれと念じていたきらきらひかる日々の事。

 

 

引けばいいんだわあんた達

 

 

 

 

幸不幸

私の中でその横浜で過ごした2年間はとてもいい時代だったので
その2年間を思い出し、必死に糧にしながら広島で生きている時もありました。
だからその良い時代の本当を知ったり、失望してしまうのは嫌です。もう10年近く経ってしまったので記憶の中で美化されてるかもしれませんし、それに気づいてしまうのは恐れおののきますが、
明後日行きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結婚式の前日の夜、明日の主役の新郎新婦は何を話しているだろうか、お嫁さんは念入りにマッサージやパックをしているのだろうと、お風呂に浸かりながら考えていた。
結婚式の直前といえば
去年の夏に観に行ったミュージカル「マンマ◦ミーア」がある。
あれは結婚式に本当の父親を呼びたいと嫁入り前の娘が奮闘する話である。
ちょうどそのミュージカルを観にいったのは私が底辺だった時代で、薬漬けの体で、人権も危ぶまれたようなそんな時代であったことを思い出す。人間じゃなく気狂いで、何をしでかすかわからなかった。常に怯えていて気を張っていて、自分の体に何が起こっているのか把握することさえできなかった。
だけどこのミュージカルを最後まで観られたことで少し進歩した気がしたんだ、あの時。私はよく覚えている。成人にしか見られないような見た目で夜道を歩き居酒屋に入ったこと。お互いの写真を撮りあったこと。コメダ珈琲のモーニングにレスカを飲んだこと。最後まで飲み干せなかったこと。おしゃれな喫茶店に入ったこと。せまくタバコのにおいのするホテルでふなっしーを描いたこと。
怖がる顔をして薬を投げつけられる事もあるけど、人間に見られることもあるよ、今は

私の中学校

通っていた中学校の前を通ると昔歌った合唱コンクールの歌を練習してる声が聞こえて、もうそんな季節か…と感慨深いきもちにさせられると同時に この声を発してる子達…一つのクラス、一つの箱の中でどんな風に生きているのだろう、 きっと私のような子もいて くるしみながら歌っている子も つまらないなと窓の外を眺めながら無気力を感じる子も色々いるのだろうと…そんなことを思っていたら切なくてだけれども感動してしまった…

(無感動無気力無定見の三拍子が揃ったタイプだとかつてエゴグラムに言われた私が感動している…と また驚いたのだが)
色々あったけどあの時間はあの時間のままでよかったんだとも思えるようになった。 これがカウンセリングのおかげか時間が解決してくれたのか、今が満ち足りてるせいか それともそれ全部が作用しているのかわからないけど、ホッとした。よかった。中学校の子達 顔も名前も病的に忘れてしまったのだけど(きっと覚えていられなかった)声や匂いはきっといつまで経っても忘れられないのだろう 。

あれはあれで、青春だった

 

トイレでパンを食べる惨めさも

絶望のフィルターが取れなかった厭世も

必死にひとりでいいと言い聞かせてたあの頑なさも 今なら愛せる

全部私が抱えて生きてあげるよ、大丈夫、もうこんなに大きいから。

 

あれでよかったのよ、あれが最高だった

 

 

 

 

 

チャイムの音
わたしも促されるはずの音。
だけどそこから抜けて自由だった帰り道。
授業が終わる地獄の音。
立って固まってギャハギャハ黒く嗤う子達を散らばせる音。

そんなふうだった。 心が固まってた。かちこちだった。それで氷みたいに冷えてた。哀しかったんだ、ずっと   泣きたかったんだ

 

 

よくがんばったと思うよ、わたしあなたのこと大好き

幸福党

 

 

 

心の中でそうっと死にたいと切望していた後に

失くなってしまいそうでこわいと言われて 時間差で滲みでてしまうのかと。

 

 

しあわせです。

感じられるかとか 本当の気持ちとかそういうのもう何も考えないで

 

ただ、今私がここにしあわせだと打ちたい気持ちなので しあわせです。

 

 

毎日のように一緒にいるから 感じ方も話し方も 見え方も どんどん同じようになってきた

 

あと2ヶ月も居れば もう居なくなっちゃったらぽっかり穴が空いてしまうようになるんだと思う、  穴は他人じゃ塞がらないもの。 

 

 

 

青春、してます。

だれより。 だれよりもしてます、

 

すきなんです、 すきになってしまいました、

  

 

 

幸福です

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「守るから、少なくとも俺がいるときは」

 

それは彼の心だけが離れたときは どうなるの? 

 

とは、聞けなかった